岡山県資料                岡山県章    

岡山市・・・・3101           

     北区・・・ 01

     中区・・・ 02

       東区・・・ 03

     南区・・・ 04


 倉敷市・・・・3102

 津山市・・・・3103

 玉野市・・・・3104

 笠岡市・・・・3107

 井原市・・・・3109

 総社市・・・・3110

 高梁市・・・・3111

 新見市・・・・3112

 備前市・・・・3113

 瀬戸内市・・・3114

 赤磐市・・・・3115

 真庭市・・・・3116

 美作市・・・・3117

 浅口市・・・・3118


 英田郡西粟倉村・・・31001

 浅口郡里庄町・・・・31003

 小田郡矢掛町・・・・31006

 勝田郡勝央町・・・・31007

  〃 奈義町               〃

 久米郡久米南町・・・31010

  〃 美咲町               

 都窪郡早島町・・・・31015

 苫田郡鏡野町・・・・31016

 真庭郡新庄村・・・・31017

 和気郡和気町・・・・31019

 加賀郡吉備中央町・・31020

 

 岡山県の木・・・アカマツ

 岡山県の花・・・桃の花  

 岡山県の鳥・・・キジ

 岡山県の石・・・万成石(花崗岩)

 岡山県の鉱石・・・ウラン鉱

 岡山県の化石・・・・・成羽植物化石群


 

 県名由来と県域


 明治4(1871)714, 廃藩置県により岡山藩を引き継ぎ岡山県誕生現在の岡山県に14の県が設けら

 れたが同年中に岡山, 深津 (翌年, 小田県に改称),  北条県の3県に編成される. その後も編入・移管を繰り

 返し明治9小田県の旧福山県部分を広島県に移管してほぼ現在の県域となる.

 岡山城のある高台を 「岡山」西隣りに 「石山」 (現在石山公園 ・ 岡山市民会館のあたり ) さらに西へ天神山

 (天満山) がある.  戦国時代, この付近を支配していた金光氏が 「石山」 に城を築いたその後戦国武将の

 宇喜田直家が石山の城を増改築し直家の子である秀家が 「岡山」 に天守閣を作り,   『岡山城』 と呼ばれていた.

 その頃から, この周辺を 『岡山』 と称するようになるなお宇喜田家は関ケ原の戦いで敗れて八丈島に流刑の

 となりその罪は直家の生涯のみならず子々孫々にも及び明治に至るまで実に270年間もの間、罪は解かれなかった

 一方西軍だった小早川秀秋は徳川方に寝返り,  東軍勝利に大きく貢献する.  豊臣家滅亡後,  褒美として岡山藩

 領主となるも21歳の若さで急逝.  秀秋にはまだ子がなく1602年に断絶する.  その後,  岡山藩は姫路池田家に

 加増として与えられる. 


 昭和38(1963) に現在の備前市の一部が兵庫県赤穂市に移管されたのを最後に県境の変更はないまた

 瀬戸内海の島である岡山名「石島」(いしま), 香川名「井島」に香川県との県境がありに島内にある県境に双方の

 意見の食い違いから 一部定まっていないところがあるため両県は県の面積が確定していない. この島は元禄時代

 岡山藩領の領民と讃岐国幕府領が領有と漁業権など12年間2度の, 幕府評定所による裁定により北の約1/3を

 備前国岡山藩, 南2/3を讃岐国直島幕領と定められた. その国境が現在の県境である. 香川県とはもう一島, 

 県境を有する島(大槌島)がある. これも領有権を争い享保17年幕府勘定奉行が島を二分することで決着した.


 廃藩置県のあった明治4年とは近代郵便制度が始動した年であり長崎に海底電信線が上陸し欧州米国等に

 電気通信が可能になった年である. ちなみに東京長崎間が電信線でつながったのは明治6年であった.江戸-長

 崎間の連絡は江戸時代末から「無刻」と呼ばれた24H休まず継ぎ飛脚(リレー方式)で最短7日で届く飛脚に

 頼るほかなかった。


 明治までの岡山県


 古くは「吉備国」と呼ばれ大和・九州北部文化の中程で北の出雲にも接して吉備文化が栄えていたと考えられて

 いる. 日本最古の水田跡, 津島遺跡 ( 岡山市北区津島地区一帯 ).  全国4位の「造山古墳」 ( 岡山市北区 )

 同じ読みの「作山古墳」 ( 総社市 ) など巨大古墳や出土品が多数が存在している大和の勢力下になった吉備国

 は備前・備中・備後 ( 現在の広島県東部 ) の国に分割され, 713 ( 和銅6 ) 年に備前国から北部6郡が「美作国」

 (みまさか) として分離する江戸時代になり備前は岡山藩美作は津山藩美作西部から備中は小藩と幕府

 が混在し倉敷 には備前・備中・讃岐 ( 現香川県 ) を統括する代官所が設置される


 その後の岡山県


 1873年  東京―長崎に開通した電信線が岡山県を通過し, 岡山市の京橋西詰付近に電信局が設置される. 


                                      岡山市旧市街地の中心部に架る "京橋" の西詰付近にある電信局跡の記念碑


 1891年  山陽鉄道( 現JR山陽本線 ),  岡山―三石( 岡山県最東部の集落, 現在の備前市内 ) 部分開通. 

                             

                   大正時代に複線化された. 画像は昭和30年代, 列車は大正時代に作られた下り線を通過中


 1898年  中国鉄道( 現JR津山線 ) 岡山―津山間開通. 

 1910年  宇野線( 現JR宇野線 ) 岡山―宇野( 玉野市 ) 間開通. 

 1930年  大原美術館開館.  倉敷の実業家, 大原孫三郎氏により日本初の西洋画美術館が作られた. 

 1931年  NHK岡山がラヂオの本放送を開始する. 

 1934年  大洪水により岡山市中心部を流れる旭川 (あさひがわ) の堤防(出石町付近)が決壊、岡山市街地が

               浸水する.

 1945年  6月22日米軍の空爆により水島地区( 現倉敷市水島 ) の飛行機工場が戦略爆撃を受ける. 同月29日

              未明B-29, 138機により約95,000発 (約890t) の焼夷弾を人口が密集する岡山市中心部に投下し

     市街地の大半を焼失, この空襲犠牲者は1700人を超え負傷者は約6000人. 

           

  県庁通り( 現在の県庁付近から西を望む・天満屋百貨店, 日銀, 郵便局, 電話局, 日赤等 廃墟に残る )


 1957年  現岡山県庁舎完成

 1957年  NHK岡山がTV本放送開始.   

 1959年  児島湾締切堤防・淡水湖完成 ( 現岡山市南区 ).

          

              画像左が児島湾を締め切ってできた「児島湖」(淡水)、右が児島湾(海水)

 

 1960年  竹林寺天文台完成. 現在の浅口市と小田郡矢掛町にある竹林山に 東京大学付属天文台岡山天体

              物理観測所が作られる. 前年, 91㎝反射式望遠鏡が設置されている.

 1962年  岡山国体開催. 

 1963年  岡山県南100万都市構想が破綻する. 県南の33市町村による合併調印式当日, 倉敷市長が失踪し

      県南大都市構想は泡と消える. 

 1965年   第7回 JARL通常総会 (岡山市) 開催.

 1972年  山陽新幹線, 岡山―新大阪間が部分開通する.

          

                                     岡山駅東1500m付近


 1975年  山陽新幹線, 全線開通する. 

 1978年  中国縦貫道, 全線開通する. 

 1988年  瀬戸大橋( 岡山県倉敷市―香川県坂出市 ) 完成. 新岡山空港開港( 現岡山市北区 ). 

          

               瀬戸大橋北端にある「下津井瀬戸大橋」この橋の中央が香川県との県境


 1990年  笠岡湾干拓工事完成( 笠岡市 ). 

          

          

                                          笠岡湾干拓地


 1993年  山陽自動車道県内開通.

 2000年 岡山アワードハンターズグループ(O.A.G.)創立

 2005年  岡山国体開催.(2回目)

 2007年  第49回 JARL通常総会 (倉敷市) 開催.

 2009年  岡山市が政令指定都市になり,「北」「中」「東」「南」の4区が設置される.

             「岡山市全区交信賞」発行開始(4月1日).

 2019年 「岡山県31交信賞」発行開始(4月1日).